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ソレ以前、ソレ以後

 今年6月のRPGイベント「大分イフコン」に参加したときのこと。
 ゲストで東京からやってきた河嶋陶一朗さんに、「坂東さんはソレ以前の人だから」みたいなことを言われたんですね。

 「ソレ」というのは、TRPG業界でいうところの、いわゆる「冬の時代」のこと。
 TRPG専門誌がバタバタと休刊し、あるいはTCG雑誌に鞍替えし、新作TRPGの発表がパッタリやんでしまった(実際には結構新作もサプリもでていたのですが、イメージとしてそうとらえられていた)時期、だいたい1996年~1998年あたりを指すようです。
 その後、TRPGは息を吹き返し、またいっとき隆盛になるのですが、まあその話はさておき。

 で、河嶋さんは、「冬の時代」にはすでにPBM業界にいたそうなんですが、本格的にTRPGに取り組むようになったのはソレ以後であり。
 「ソレ以前」と「ソレ以後」のデザイナーは、とくにインターネットの活用などの点で感覚的な部分が違う、といったことを主張されていたのが印象的でした。

 ただ、むー。
 「ソレ以前」の人と言われると、ちょっと違和感を覚えてしまうのですよね。

 たしかに、坂東がTRPGのお仕事をさせてもらうようになったのは1993年頃からで、1995年にはシステムデザインを担当したTRPG『鋼鉄の虹』を出させてもらってるので、時代区分的には「ソレ以前」の人なのかも知れないですけど。
 なんかこう、感覚的には自分は「ソレ以後」の人のような気がしているのですよね。

 というのも。

 

坂東は91年から95年まで遊演体という会社に所属していたのですが、その間、自分はTRPGデザイナーだとはあんまり思ってなかったのです。
 たしかに、もともと入社時にはTRPGの制作を希望していたのですが、入社後はむしろPBMに深く関わっていたし、TRPGにはあくまで副次的なお仕事として関わっているだけだと思っていたので。
 誤解を恐れずにいうならば、当時の坂東はTRPGというのはPBMよりも劣っていると思っていました。というより、TRPGが進化してPBMになったのだと思いこんでましたから、いまさら過去に逆行してもしょうがない、なんて考えていたのです。坂東だけでなく、当時の社内にもそういう風潮はたしかにありました。(まあ、このへんはまた機会があれば、いずれ)
 ぶっちゃけ、TRPG『鋼鉄の虹』は会社の業務として「やれ」と命じられたのでやった、という感じでした。別に嫌々ではなかったですが、格別な意気込みもなかったのは事実です。『蓬莱学園の冒険!第2版』はPBMのお仕事の一環として設定監修をしただけですし、おなじく設定やシナリオに関わった『白狼伝』は、結局発売されませんでしたしね。

 しかも、当時は社外のほかのTRPGデザイナーのみなさんとは、まるっきり親交がなく。
 JGCのようなデザイナーが集うイベントも、まだありませんでしたしね。
 当時、『ファー・ローズ・トゥ・ロード』のお仕事で、ちょくちょく遊演体の事務所にやってこられていた藤浪智之さんや、PBMのお仕事もされていた田中としひささん、金澤尚子さんらをのぞけば、外部のTRPG関係者の方々とはまるで面識がなかったのです。
 かといって、社内には有坂純さんや門倉直人さんが在籍していましたが、すでにTRPGのお仕事からは遠のいていましたし、そもそもご両名が出社していることすら稀でしたからね。
 そんなこんなで、自分のようなPBM崩れのTRPGデザイナーもどきは、世に名前の知られたスターデザイナーの先生方とは一線を画していると思っていました。

 そんな調子ですから、95年春に富士見書房さんの『MAGIUS』のイベントにゲストマスターとして出かけたときは、もうおっかなびっくりでした。
 あのときは、『MAGIUS蓬莱学園83分署』をデザインした賀東招二くん(そう、彼も若き日にはTRPGをデザインしたことがあるのですよ)が、スケジュールのバッティングだかでイベントに出られなくなり、その代役として急遽呼ばれたんですが。
 なにしろ『MAGIUS』には、当時の主立ったTRPGデザイナーがたいてい参加していましたから、会場にはそういう方々がひしめきあってるわけです。
 とたんに、自分も一応デザイナーのはしくれだなんてことは忘れて、「うわー、うわー。本物だー。うわー」とか、ただのミーハーゲーマーと化してうろたえまくっておりました。部屋の隅っこでそうしていると、怪訝な顔をした藤浪さんが「どうしました? そんなとこにいないで、こっちへどうぞ」とか誘ってくださるので、カチコチになりつつ歓談にまぜていただいたのを思い出します。
 ちょうどTRPG『鋼鉄の虹』が出る直前だったので、『RPGマガジン』でゲーム紹介コラムをもっていた朱鷺田裕介さんから、ゲーム内容についていろいろ聞かれたことは覚えているのですが、こちらはもう「うはー、セル・アーネイの朱鷺田さんだー、うわー」とか舞い上がっていたので、なにを答えたのか全然覚えてません。
 あのときは「あぁ、俺って実は、TRPGが好きだったんだなあ」といまさらながらに思い出しただけで、自分が作り手側に回っているなんてことは、ちっとも考えてなかったですね。

 そのイベントの直後くらいから、いよいよ「冬の時代」が濃厚となってきまして。TRPG『鋼鉄の虹』も(デキがヒドかったのももちろんありますが)あんまり売れず、それどころかサポート雑誌が休刊したのでフォロー記事の連載も中止となり。
 また、ほどなくして坂東も遊演体を退社したので、TRPGとはパッタリ縁がなくなりまして。
 たぶん、このまま自分は一生、お仕事としてTRPGに関わることはないんだろうな、などと思っておりました。

 でまあ、その後いろいろありまして、2000年になって急にエンターブレインさんから「蓬莱学園みたいな壮大でコミカルなハイパー学園モノがほしいんですよ。やりません?」というオファーがあって、思いがけずもTRPGの世界に戻ってくることになるわけですが。
 むしろ、このとき坂東はTRPGを自分の仕事として強く意識したんですね。

 つまり、「ソレ以前」の時代には、ギリギリかけこみで間に合ってはいるんですが、当時はぜんぜんTRPGデザイナーとしての覚悟はなく、せいぜい「見習い」程度の認識でしかなくて。
 本人としては、気分的に「ソレ以後」の人のような気がしているわけです。

 河嶋さんとの会話で感じた違和感の正体はそれだったのだなあ、といまさらながらに気がつきました。

 まあ、「おまえの作ってるモノはどれも古臭い」「センスが80年代で止まってるだろ」とは、よく言われますけどね!

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