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2010年10月

クマと戦うことの意味

 mixiの日記に書いてみたのですが、「そう思っているということを、もっとアピールしたほうがいい」とアドバイス受けたので、こちらでも。
 ちょっとばかり腹が立ったので、殺伐とした文章になってますが、あんまり気にしないでね。

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「クマを殺さないで!」批判殺到 猟友会「現実分かっているか」と反発
http://www.j-cast.com/2010/10/29079577.html?p=1

 クマ射殺に対するトンチンカン苦情については、何度かうちの日記でも触れてきましたが。
 今年の夏は山に食い物がなくて、住宅地にさまよい出たクマをはじめとする野獣被害があまりにも多かったせいで、この手の苦情も例年の数倍寄せられるようですね。

 もうね。アホすぎる。
 というか、どこまで上から目線なんだ?
 というか、どこまでクマってものを、猟銃ってものを知らなさすぎるんだ?

 もしかして、麻酔銃ってのは1発撃ち込んだら、たちまちクマがクタクタっとその場で眠って高いびき、とか思ってんじゃないだろうな。
 そんな便利なもん、あるわけないっての。アニメとかゲームとかと現実の区別もついてないんじゃないのか。

 だいたい、そういうこと言うバカってのは、ツクノワグマとヒグマの区別もついてないんじゃないか?

 ツキノワグマならそんなにでっかくもないし、基本的に臆病だから、向こうがよっぽど気がたってない限りおどかしたら逃げていくし、誘導とかも可能だけど。(よく山菜採りの老人が死に物狂いで反撃したらクマが逃げていったとかいうのは、こっちの方)
 ヒグマ相手におどかせとか、誘導しろとか、そんならおまえがやってみろと言いたい。
 麻酔銃でもいいよ。有効射程距離まで近寄ってから撃ち込んでみな。それが利くまでの間、時速60キロで突進してくる、質量200キロからあるヒグマの猛攻をどうやってしのぐのか知らないけど。
 BRPなら1D6+2D6のカギ爪×2回同時攻撃か、カギ爪1回+かみつき(1D10+2D6)だぞ。人間は1回しか回避ロールできないんだぞ。HP平均12~13なのに、ダメージ1回平均10.5ないし12.5だぞ。1ターンに2回死ねるぞ。

 ヒグマ相手なんて、たとえ猟銃もってたって、仲間が大勢いたって、わざわざ狩り出しにいくのはごめんだ。猟友会の人たちにはほんと、頭が下がる 思いだ。平均年齢60歳以上の老人たちが、わずか日当1000円で文字通り命をけずって住民のために戦っているのに、なんたる罵詈雑言。
 少なくともクマに出くわす危険性ゼロ(に限りなく近い)の土地に住んでいる人は、安全なところから勝手なこというべきじゃないと思うんだ。

 ここらで教育のために、もう一回「三毛別羆事件」の再映画化とか必要なんじゃないか。そんで小中学校で上映すべきだ。
 知らない人は、ここ読んでみるといいよ。人とヒグマと戦うってのがどういうことだか、少しは判ると思うよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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というわけで、坂東はクマや野生動物の被害と戦う人々を全力で応援しています。

別にクマが嫌いなわけじゃない。むしろ大好き。

でも、それとこれとは別。

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付記:

猟友会関連の友人から、「ツキノワグマでもヤバいよ、基本」とのコメントをいただきました。

「昨シーズン、エンカウントした友人が「一発で止められる自信があれば(撃っていいよ)。二発目を撃つ時間はないから」と言われたり、急所に入れてから倒れるまでのタイムラグとか聞くと、シャレにならないし」

だそうで。

まあ、怒ったり昂奮したりしてるときは、そうなんでしょうな。

ガクブル。

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秋も深まる中

 みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 ……いや、えーと、ごめんなさい。
 前回の更新から、軽く2ヶ月は経過してますね。

 なんでサボッてたかというと、主に仕事が忙しかったのと、あまりの連日の猛暑のせいで持病の鬱を激しく発症してしまい、ろくに起き上がることもできんかったのと、それを癒すためにパチンコ……ああいや、ゲフンゲフン。

▼パチンコといえば、『CR フルメタル・パニック!』 絶賛稼動してますね。
 いやあ、知り合い関係のクリエイターで、作品がアニメ化などのマルチメディア展開を果たした例は枚挙に暇がありませんが、パチンコ化は実ははじめてなんじゃないかしらん。

 ま、ものすごく広い話でいうと、『ギャラクシーエンジェル2』には坂東もシナリオ参加しているのですが(カルーアとかナノナノとかの話は主に坂東が書いていたり。あと後半のアプリコットも)、パチンコ版は1がベースなので2のキャラは出てこないしな!

 ともあれ、賀東くん、おめでとう!

 まあ、パチンコ化ということで、熱心なファンの中には苦言を呈してる人も多いらしいのですが。(とくに秋葉系にはパチンコを毛嫌いする人が多いことですし)
 とりあえず坂東は全力で応援しておりますぞ。

 ……でも、あのスペックは人殺しだと思うw
 ごめん。プライヴェートでは打てない。精神的な支援にとどめときます。
 それでも「ファンなので、ちょっとお布施してやるか」という方は、バトルタイプじゃなくて甘デジの方をお奨めします。
 あっちの方は、まだなんぼか。なんぼか。店によるけど。
 あと、お布施してもたぶん賀東くんのとこまでは回らないと思われw

▼さて、お手軽戦国時代SLG『戦ノ国』。無事、9/30に発売されております。
 バグなんかも多少ありますが、はやくもパッチが配布されてますので、とりあえず遊ぶのに問題なし。
 ゲームレビューに関しては、毎度おなじみアトリエサードの徳岡さんの4gamerレビューが公平でお奨め。SLG初心者は公式ブログ「こなすの戦ノ国たいけんブログ」がいいかも。あと、「ここぱの戦乱観察記」が大層笑える出色のレポートなので是非。
 正直、あまりお安い価格帯ではないのですが、まあ昔のPCゲームはこのくらいするのがあたりまえだったし、PC-SLGというジャンルの今後の発展のためとばかりに、えいやっとamazonの購入ボタンを押してくださるとうれしいのすけ。

▼そして案の定というか、巷では武将レーティングについて「なんであの武将があんな数値に……」と悲喜こもごも聞かれるわけですが。そりゃもう、ここぞとばかりに坂東の好き放題に決めさせていただきましたさ。
 とりあえず、よその戦国ゲームとおんなじレーティングじゃつまんないでしょ?
 というか、坂東にリサーチさせる意味ないでしょ?

 まあ、富樫の1・1・1はいくらなんでもやりすぎたかな、と思わんでもないですが。

 全体として、平均値を5じゃなくて3で取ってるのですね。
 ので、能力値2以下というのは史実でよほど記録に残るような失態をやった武将ということになるわけですが。
 富樫家なんて、百姓一揆に国を追い出されて、それでも名目上は加賀守護なんだけど、ぶっちゃけいるのかいないのかわからんような状態ですから。というか、1550年当時になにやってたか、ろくに史料すらない。(現地に出向いて地方史とか郷土史をあたれば出てくるかもですが、富樫ごときにとてもそんな取材をしてるヨユウはなく)
 まあオール1でよかろうよと、そういう位置づけ。
 いやま、実際には国を乗っ取られたのは、富樫家の現当主じゃなくて、何代か前のご先祖様なんですがね。
 ホントは一向一揆勢が加賀国主ということにしたいくらいだったんだけど、このゲームでは一揆勢も本願寺勢も、すべて国の「治安」が低いと登場して暴れていくイベントあつかい(『ウィザーズクエスト』のオークとか、『孫子』の蛮族とか、そういうの)なので。こういうあつかいになりました。

▼あとバランス的に、弱小大名にも一人くらいは(無理にでも)スタート時に配下武将をつけたほうがよかったかな?と思わんでもないですが。
 でも、今回は「軍団指揮官クラス、国持ち大名クラスの武将のみいれる」という発注を受けたので。織田軍団とか武田軍団とかでも、有名どころの武将をかなり削ってるのですよ。あのへん、ものすごく人数多いからね。
 それなのに、富樫家や仁木家あたりに、それこそ誰も聞いたことないような武将がのほほんと居座っていたら、ああた。削った武将に悪いなと思いまして。というか、それはそれでバランスがよろしくない。
 まあ、今後、武将データが拡張されるというようなお話でももちあがったら、そんときは考えましょうぞ。

▼前田慶次郎はいれてません。いれるまでもないでしょ、あんなろくに史料も残ってないような小物。(挑発的)
 とかいいつつ、山本勘助が入ってるし、しかもド卑怯に強いですけど。
 まあ、講談軍記物のイメージは大事にしたいと思いまして。昨今の歴史学でも、勘助の実在は、ほぼ疑いないだろうということになりましたし。大河ドラマでも活躍したしな。

 ぶっちゃけ慶次については、実はいれようかどうしようか迷って、開発元のエレメンツの石川さんに相談したところ、「時期的に登場が遅すぎるので(秀吉の小田原攻めあたりで時間切れ強制ゲームオーバーになる)割愛しましょう」ということになり。
 そういうことなんで、隆慶一郎ファンのみなさんは、どうかひとつ。

▼で、今はブログの更新もできないほど、なんのお仕事やってんのかと言いますと。

 まだ言えません。

 えー、なんじゃそれー。

 いやま、11月末入稿なので、そのあたりにはまたなにがしかの情報を。
 今はとにかく、この膨大なシナリオテキストを書き進めなくては。
 うひい。

 さて、仕事に戻らねば。

 それではみなさん、お達者で。サヨナラ、サヨナラ。

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TRPGに関する歴史認識のズレ

 TRPGの熱心なファンと話をしていると、ときおり歴史認識のズレを感じることがあります。

 いやまあ、ズレを感じるポイントは、実は結構いろいろあるのだけど。
 とくに感じるのが、「TRPGはいつごろ衰退したのか」についてです。

   ★

 どうも一般ユーザーのみなさんからすると、TRPGが衰退したのは20世紀もどんづまりの頃、1998年とか1999年とかになってからのことだと思ってる人が(意外にも)多いのですね。1995年、1996年くらいは、まだまだ流行っていたよ、と。
 その頃はサークルにもたくさんの人が出入りしていたし、新人さんも結構入ってきてたし、洋ゲーや古典ゲーなどいろんなゲームが同時にいくつも立卓できていたし、選択の幅もあって、活況を呈していたよと言う。
 こういう思い出を懐かしげに語る人はたくさんいます。
 つまり、20世紀の間は、TRPGは少なくとも俺の周りでは流行っていたよ、と。

   ★

 が。
 作っている方にしてみると、TRPGはそれよりもっと早い時期、遅くとも1993年にははっきりと停滞がはじまっていたし、1994年にはブーム衰退が明らかになっていました。
 いわゆる最盛期は1991年か1992頃で、そこを頂点にTRPG関連商品の売り上げはどんどん日増しに下がっていった、という印象です。
 実際、その頃まではボックスタイプの5000円くらいするゲームが何万個も売れていたし(いや、ホントなんだってば)、文庫タイプの書籍型ルールブックだと、それよりゼロが1個多い感じでした。
 それが1994年頃にはすでに「ボックスで1万個売るのは、きょうび、ものすごく難しいね」という話になっていました。
 書籍タイプでも苦戦を強いられるようになっており、一部の人気ある文庫ゲームをのぞき、初版部数が1万部を切る時代になりつつありました。このへんは問屋さんやショップさんがボヤいていたのも耳にしましたし、会社の企画会議でも連日そんな話をしていましたね。
 1993年には、国産初のTRPGを世に送り出したメーカーである業界大手のツクダホビーさんが、TRPGをはじめとするアナログゲーム全般から撤退し、一つの時代が終わったことを感じさせられました。
 TRPGの専門雑誌も1993年頃からぽつぽつ休刊をはじめ、1997年末には一部ゲームショップにのみ置かれていた『ゲーマーズフィール ド』(当時はFEARさんのファンクラブ会報だったと記憶しています)をのぞけば、一般書店にはTRPG「も」あつかっている雑誌が1冊あるだけ、という 状況でした。
 ついには、いろいろと予定されていた新作タイトルも発売が無期延期になっていき、いわゆる「TRPG冬の時代」に突入したことを、誰もが実感せずにはいられなくなりました。

   ★

 ……というのが、坂東の歴史認識なのですが。
 ところどころ記憶違いはあるかもですが、たぶんそんなに史実とズレてないと思います。

 で、上で挙げたユーザーさんたちの認識と比べると、だいたい3年~5年前後、あるいはそれ以上のズレが発生しているわけですね。

 これはなぜなのか?

   ★

 1991年といえば、バブル崩壊の年です。
 最初は一般には無縁の現象だと思われていたのが、次第に一般にも波及してきて、1993年には「不況」という言葉が一般化します。そのうち「どうもこの不況は長引きそうだ」という話になってきて、ユーザーさんのお財布のヒモはどんどん硬く締まっていったはず。
 また、1995年頃から日本でも「マジック・ザ・ギャザリング」をはじめとするTCGブームが巻き起こり、アナログゲーマーたちがこぞってそっちに流れていったという経緯もあります。
(これらの流れはPBM界も直撃するのですが、それはまた別のお話)

 一方、1999年といえば、シーン制マスタリングやプレイヤーハンドアウト、ユーザーの手持ちリソースによる物語への強制介入が可能といったおなじみのシステム……いわゆる「FEARゲー」の概念が確立した時期です。
 なおかつ、『魔獣の絆』(しかも小学館からTRPGが出たという地味な快挙!)の、この時期としては驚異的な売り上げにより、「ああ、商業 TRPGってまだイケるんだ」という認識が再び業界に生まれ、翌年2000年からの新作ラッシュによって、今日に至るTRPG再ブームへの端緒となった年 でもあります。
 とはいえ、本格的に「またブームが戻ってきたな」と感じたのは、2001年くらいからだったんですがね。

   ★

 さておき。

 「1999年頃は、まだTRPGは元気だった」という認識は、この1999年のTRPG第二次ブームとでもいうべき流れを受けて、記憶の中でごちゃまぜになって生まれたものかも知れません。
 ただ、この解釈だと、「1994年から1998年にかけても元気よかったよ?」という歴史認識を生み出す理由にはならんわけですが。

 あるいは、TRPGという特殊なゲーム環境が生み出す、「俺たちの周りではまだ元気にやってるよ?」という、いわゆる俺鳥取(2ch卓上ゲーム板用語。TRPGをめぐるローカルな特殊環境を世間一般に広く通用する常識と錯覚すること)が生じていたのかも知れません。
 実際、新作が発売中止になろうが、ゲーム雑誌が廃刊しようが、好きなゲームさえ手元にあればえんえん遊び続けられる(むろん限界はありますが) のがTRPGの特長であり。これは、たとえ世間で廃れようともゲーマーはそんなのどこ吹く風で、たくましくローカルに遊び続けていたことの証左なのかも知 れません。

 坂東はなんとなく、後者の方なんじゃないかな、と思います。

 というのも、「歴史認識にズレがあるなあ」と感じるユーザーさんの大半が、よくよく話を聞いて見ると、コンベンション主体のプレイヤーさんではなく、サークル主体に活動していたプレイヤーさんなのです。
 コンベンション系の人は、ゲストとして会場にやってくるTRPGデザイナーと触れ合うチャンスも多かったろうし、もっと敏感にTRPGの停滞・衰退・再復興という流れを感じていた可能性があるのでしょう。
 サークル系の人は、世の中の風潮とは無関係に、あいかわらず仲間たちとTRPG三昧の毎日だったのかも知れません。

 また一応付記すると、この話は、かっての学生主体のサークルによる長期間にわたるキャンペーンプレイから、社会人主体のコンベンションでの一回 こっきりのカジュアルなプレイへと、TRPG全体のスタイルが変化していく流れの中での文脈ととらえるべきなのかも知れませんね。

   ★

 長々と説き起こしてしまいましたが。
 まあ、歴史認識のズレを正すのが、本稿の目的ではなく。

 ことほどさように緊密なプレイを楽しめていたのだとしたら、サークル系のプレイヤーさんたちというのは、なんとも幸せな日々を送っていたのだろうな、と、ちょっとうらやんでいる次第なのです。

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